昨日は久しぶりのお休みでしたが、私は週末からの福島・宮城行きに向けて終日準備に明け暮れました。実は私にとって、東北へ行くのはこれが初めてではありません。私がかって横浜の電気メーカーに勤めていた頃、江ノ島は見えませんでしたが湘南の社員寮で、仙台出身で同期入社の彼と相部屋でした。彼は大人しい性格でしたが、九州出身の私とはよく気が合いました。入社2年目の春に出向で仙台に半年程赴いた時、ずっと彼も一緒でした。彼が地元出身だからというわけではありませんでしたが、なぜか心強かったことを憶えています。また私はスキーが好きだったので、そのことも私の心を踊らせました。会社からの突然の辞令でしたが、学生時代からずっと住んでいた都会をしばらく離れることにあまり抵抗は感じませんでした。スキーもゴールデンウィーク頃まで楽しめました。半年後、再び横浜へ戻ってくることになるのですが、そのとき彼は一緒ではありませんでした。過労でちょっとした体調不良ということで、しばらく自宅で療養して戻ってくるとのことでした。ところが彼は何ヶ月経っても寮の部屋に姿を現すことはなく、横浜の仕事に戻った私も、彼を気にしつつも忙しい毎日に流される日々で、徐々に彼のいない部屋での生活に慣れていくことは否めませんでした。その間、彼の体調不良は過労からではなく持病によるものだと会社から聞かされましたが、私の生活が変わることはありませんでした。そのうち彼の保護者か知り合いの方が退職の手続きをしに会社に来られたそうです。私は横浜に戻ってから一度も彼の顔を見ることなく、彼は会社からいなくなってしまいました。それから何年かが過ぎたある晴れた春の日曜日の朝、私は目覚まし時計のベルかと思うような電話の音に突然起こされました。電話の相手は彼の母親でした。眩いばかりの陽射しが私の背中に射し込む中、私は受話器の向こうの声にただうつむくだけでした。その日で私と彼との時間は止まってしまいました。
もう彼との時間は再び動き出すことはありませんが、私は大変なものを陸奥国の地に置いて来てしまいました。あれからもう随分時間が経ってしまいましたが、今度はしっかりと彼の声に耳を傾けたいと思います。
|